扉の向こうにいつも猫

 晴れた冬の日の住宅街を走り抜けてゆく電車に乗ろうとするとき、リストの「コンソレーション第3番」を聴きはじめます。この、ゆっくりと、穏やかに弾かれるためのピアノ曲を奏でているのは、フジコ・ヘミング(Ingrid Fujiko v.Georgii-Hemming)さん。

 東京とパリに住み、ドイツをはじめ世界中で活発に演奏活動を続ける、ピアニスト。彼女は、画家でもあり、優しい、魂に響く、言葉の紡ぎ手でもあります。

 

 数年前のある夏、夢中になって読んだのが『フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記』(暮らしの手帖社、2018年)。その夏は、彼女の演奏を毎晩聴いたり、それから繰り返し読むことになった『魂のことば』や『天使への扉』というエッセイを手にしました。

 『絵日記』には、子どもの頃のお裁縫の日誌や家族のおしゃれや疎開中の思い出などが、キュートでスタイリッシュなイラストと呼びたくなるような挿画とともに綴られています。それは、戦争が終わってまもない頃のひと夏を、マイペースで生きる少女のありのままの記録。

 その絵日記から、いまに至るまでの、彼女の自由でしなやかな生きかたの姿勢は、その後の長い年月の間にどんな苦難に遭っても、だからこそ、いっそう柔らかく、もっともっとひとと猫たちに優しいものになっていった。音楽への愛も、どんどん強まるばかりだった。

 きっとそうだということは、彼女のエッセイからも、ピアノの音色と響きからも、伝わってきます。どんなことがあっても、ピアノを弾き続けた。その魂が重ねた時間の層が(たぶん彼女が歩いた石畳の記憶もそこにくわわって)聴こえてくる。

フジコ・ヘミング絵 石津ちひろ文『ねことワルツを』(福音館書店、2022年)より、34-35頁の絵(部分)

 年が明けてから、この冬刊行されたばかりの絵本『ねことワルツを』を読みました。ひとと猫との間のいろいろな距離を描いている絵。ひらがなによる詩文は、猫たちにも読めたら良いのにねと思ってしまう、語りかけるような詞。「まんまる」というまるい猫の詩とゴールドの水玉模様の猫の絵の組み合わせ。あでやかに塗られた金色の色面は、ウィーンの装飾の部分のようでもあり和の文様のようでもあり、光の反射を変えてみせます。

 ひとと猫とぬいぐるみに優しい、ヘミングさんの絵には、思い出のなかの場面にも、現在の暮らしのスケッチにも、ほんとうによく猫が登場します。

「着替え 2」(部分)フジコ・ヘミング画集『青いバラの夢』、講談社より

 

 エッセイ集の多くには数葉の挿画が添えられています。あらためて画集のページをめくってみると、ひとがいる絵には、猫がいないほうがめずらしいのでは。それくらい、猫を愛するひとの優しさにあふれています(フジコ・ヘミング画集『青いバラの夢』、講談社、2007年)。        

 ピアノを弾く女性のドレスの裾に、小さな紙のピアノを練習する子どもの傍に、芸術家たちの足元に。家族の食卓にものぼって、猫は、守護天使のように、時にはいたずらっぽく、時には犬ともじゃれながら、いつでもひとに寄り添っている。

フジコ・ヘミング絵 石津ちひろ文『ねことワルツを』(福音館書店)より、27頁の絵(部分)

 

 扉の向こうの、世界で、道に迷い、途にあるひとびと。扉の向こうの、部屋のなか、自分の表現と向き合うひとびと。扉の向こうに、いつも猫がいる。

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