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菱形ののれん

 作家ジュンパ・ラヒリのイタリア語で書かれた自伝と小説。ニューヨーク、フィレンツェ、ローマ、カルカッタ… いくつもの都市と言語のうちに魂の居場所をさがす作家の文体が、キッチンから漂う香辛料の香りとともに、どこでもない場所へとも連れていってくれます。

Jhumpa Lahiri, Whereabouts, Penguin Random House India, 2021.

 ある休日の朝、読みはじめたとたんにおなかがすいてきたエッセイがあります。朝ぼらけから目がさえざえと覚め、なにとなしにブラウズしているうち行きあたった、The New Yorker誌の記事 Jhumpa Lahiri, ”The Long Way Home”

ジュンパ・ラヒリの文章は、インド出身の母の、秘伝のレシピをめぐる思い出と、アメリカで育った作家の料理をめぐる遍歴が、ごく率直な語り口で語られて、いっきに読ませます。

 アサフェティダ、ジンジャー、ガーリック、ターメリック… 休みの日のキッチンに満ちるスパイスの香りがただちに届くエッセイに誘われて、明け方に本を探し、エッセイIn Other Words を読んでみることに。

 これはラヒリが最初にイタリア語で書きおろし、英語に翻訳された本。Kindleにダウンロードしてみると、英語とイタリア語の両方で構成されています。見開きページに対語で並んでいるのでなく、ページ毎にひとつ、白い長方形の上に菱形の模様がプリントされたような、ちいさなアイコンがあって、それは別のことばの方へ移るためのリンク。

 たとえばここは、フィレンツェへの旅についての一節( 最後の、Permesso? May I?のあとに、アイコンがあります。)

 この暖簾(のれん)のようなアイコンをタップすると、英語とイタリア語のあいだを瞬時に行き来できる。二重の菱形模様は、インドのブロック・プリントの定番柄であることも手伝って、E-Bookに布の質感が加わる。

 とつとつと語る彼女のことばは、ひとつの異国の言語を学び、それがどのように彼女の心の居場所をなしていったかを直に伝えてくれます。学びはじめたときには、とりたてて必要もなかったはずのイタリア語に、ほとんど取り憑かれていく道行きには、静かに熱狂めいたところさえ。

 次に手にとったのはWhereaboutsDove mi trovoというタイトルで、やはりラヒリがイタリア語で書きおろした小説はローマが舞台。短いセンテンスで素朴に綴られる文体はあいかわらず、簡素な文体の質感をとおして永遠の都の石は変質する。およそ固有名詞が登場しないこの小説にはふしぎと抽象的なところがある。そのぶん、家具や文房具などのイメージが、モノクローム的空間を背景に、まるで拡大されて映しだされる。

 ちなみに、インド・ペンギン・ブックス版の表紙でも、日本語の翻訳書ジュンパ・ラヒリ『わたしのいるところ』中島浩郎訳(新潮社の表紙でも、椅子が被写体になっている。

 In Other Wordsを読む読者は、作家が、イタリアをめぐるある種のエキゾティシズムから出発し、ついでローマに移り住み、アメリカと行き来するなかで言語の壁がやがて扉として開いてゆき、しまいにはイタリア語こそ彼女の家となってゆく過程に触れることになる。もちろん、アメリカの中のカルカッタという、彼女のもうひとつの家にも。

あとがきで語られる、アンリ・マティスのカット・アウトを見ての発見に至るまで、徹底してそれは、三つの言語をめぐる自伝なのです。

 Whereaboutsが描く、ローマという土地は、どこでもない場所として立ちのぼります。どこにも留まらない書き手が通りすぎる、第三の地点。とはいっても、かなり抽象化されたその空間のなかにも、キッチンに行ってみると、いつでもおいしそうなレシピがある気配。

もうひとつのことば、場所、それとも土地との絆のように、タイムとレモンの香りが漂ってくる。もうしばらく彼女のほかの本も読み続けてみたくなる。

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本と映画とピクニック

 金井久美子・美恵子姉妹の日々は、本屋さんに行き、映画館に出かけ、絵を描く。TVを見て、文章を書く。光をあびる猫をながめる。 そういうよろこびに、ずっと満ちてきた。

  Pierre-Auguste Renoir, Picnic (Le déjeuner sur l’herbe), c.1893, Barnes Foundation.

 

 四月になるとすぐ、文庫になったばかりの、金井美恵子さんの猫エッセイ『迷い猫あずかってます』が届いた(解説 桜井美穂子、中公文庫、2023年)。

 目白のキジネコ「トラー」の日常観察。この猫の生態をめぐる描写には、本と映画のなかの猫と犬の記憶が重ね合わされていて、友人たちの猫ばなしが絡められている。猫と、猫と暮らす人びとにかんするフィールドワーク的記録に、いつもの辛めの文芸と思想の時評がさしはさまれていて、背筋をただして読むのがふさわしい。

まだ見ていない映画の(けっしてあらすじではなく、デティール)があれもこれもとふんだんに語られ、いまにも見たい気分になる。J. ルノワール監督の映画『ピクニック』。そういえばまだ見ていなかったということになって、映画が観たくなる。ピクニックに出かけたくなる(「ピクニックに行こうと思う」)。

 こういう好奇心の感覚をともなうのは、金井美恵子さんのほかのエッセイでも同じ。『ページをめくる指』(河出書房新社、初版2000年、平凡社、2012年)のなかで、A. キアロスタミ監督の「パンと裏通り」という犬が出てくる短編映画について幾度も読むうちにいつのまにか(想像上の)親しい映画になっていたり。そういう文章の魔術にかかってしまう。たのしさもにがみもうつってくる。ふと本棚の古層に手を伸ばすと、『愉しみはTVの彼方に』が、2冊の『岸辺のない海』のあいだにあった。

 ほんのすこしして、金井久美子さんの新作展の春の黄色のご案内ハガキが届いた(「金井久美子 新作展 たのしい暮らしの断片(かけら)2」、村越画廊、2023年4月12日〜4月22日)。

 金井美恵子・金井久美子『シロかクロか、どちらにしてもトラ柄ではない』(平凡社、2022年)の挿画の原画になったコラージュとアッサンブラージュが、「トラー」のデッサンに囲まれるように展示されている。

金井久美子《心地よい場所》(テンペラ、毛糸、ヒモ、玩具)より、部分

 あちこちに、ピンクや赤色のリボンや刺繍糸を丸めたものがあしらわれていて、素材集めが気になるだとか挿画との違いについて伺いながら、J.コーネルが素材を収めていたストレージのモノクロ写真を思い出したのは、鸚鵡へのオマージュのように、鳥のブリキのおもちゃが貼り付けられているから。こんなふうに、アンリ・ルソー風の「虎」の隣に。

 金井久美子《おそろいとおさがり》

  (色鉛筆、鉛筆、パステル、テンペラ、刺繍糸、フェルト、麻ヒモ)展覧会ポスターより、部分

  金魚すくいをする姉妹のおもざしが変わらないことに、微かなしるしに、心打たれていると、ふたりはおかあさんと映画館に入っていき、木のもとで仲良くスケッチし、本屋さんで真剣にたたずんでいた。

 書店の棚には、『若草物語』『クマのプー』『水の子』などなど。『わたしが子供』という背表紙も、新刊の小学生向け雑誌も、ところ狭しと。本に刷られた挿絵からはほとんど消えていた、鉛筆の細い線で刻まれた、手書き文字のあじわいは、まるで昭和の少女の絵日記。

 姉妹の日々はこのころからずっと、本を読み、たくさん映画を観て、ピクニックして、花・くだもの・駄菓子のようなあかるい原色で絵を描く。TVを見て、文章を書く。

 光をあびて、泡だち波うつ猫の毛をながめる。そういうよろこびに、ずっと満ちている。

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スフィンクスの肌理

VR(仮想現実)の回廊を歩くという体験。存在しないはずの場所とその記憶は、描かれた空間を前にするときの感覚を変えていきそう。

  VR(仮想現実)の回廊を歩くという体験をしました(MTM(Mind Time Machine)Ⅱ)。

 歩くひとにあわせて音が響く、歩廊の両端に、さまざまな形状の柱廊がたちあらわれてくる。海をのぞむ柱廊空間にたちならぶコンクリート風の柱も、メタリックな点描からなる柱状の形状も、ときどきグニャリと屈曲する。

 暗色の空間で、波うつ仮想的な(ドットからなる)ベルベットのようなものの質感に、はじめて(視覚的に)触れました。 

 歩いていると、さまざまな心象が浮かんできます。建築学の授業、瀬戸内海、サルバドール・ダリが参加したディズニー映画の「デスティーノ」(1945-2003)。

 そうして感じとった、存在しないはずの場所とその記憶は、たとえば描かれた空間を前にするときの感覚を変えていきそう。絵やイメージにみいだされてきた超現実がこれからは仮想現実としてそのなかに入ったり、歩きまわったり生きられたりするのだと思って、心おどりました。

 チーズのように溶けるあの時計。卵白のようにしたたる黒電話の受話器。1930年代末、イメージ・メーキングにいつになくノッテいた頃のダリが、雑誌からの写真の切り抜きをもちいてつくっていたコラージュのひとつに、《シャーリー・テンプル、当代の映画のもっとも若く神聖な怪物》(1939年、ロッテルダム、ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館蔵)という作品があります。

 ちょっと人面猫みたいで、頭のてっぺんにリボンをつけてる、真赤なスフィンクス。J.L.ボルヘスの『幻獣辞典』(初版、1967年)のイタリア語版(2006年)の表紙に、この絵があしらわれています。

Jorge Luis Borges, Il libro degli esseri immaginari, Biblioteca Adelphi 502, Adelphi Edizioni, 2006.

Jorge Luis Borges, Il libro degli esseri immaginari, Biblioteca Adelphi 502, Adelphi Edizioni, 2006.

 この叢書に用いられている紙の繊維の質感がひっそりと毛羽立っている感じとあいまって、不思議な効果が生まれていて、飾りたくなる装丁。ちなみに、日本語訳の新版には、スズキコージさんが挿画を寄せていることを知ったばかり(ホルヘ・ルイス・ボルヘス『幻獣辞典』柳瀬尚紀訳、スズキコージ絵、晶文社、2013年)。

 ダリは「核神秘主義宣言」の時代にも、三様の頭部の後ろ姿が砂漠にひっそり佇んでいる《ビキニの三つのスフィンクス》(1947年、諸橋近代美術館蔵)という絵を描いていて、こちらは、原子、ウラン、量子力学について思索を巡らせていた頃のスフィンクス。

 

 エジプトのスフィンクスの石の質感が固定観念としてあって、ギリシアのスフィンクスを描いた絵画のイメージも強くて、幻獣スフィンクスの肌理をあえて想像したことはなかった。

 存在しないはずのいきものの質感が未知であることにあらためて気づいたのは、VR体験の余波かもしれない。

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扉の向こうにいつも猫

東京とパリに住み、世界で演奏活動を続けるピアニスト、フジコ・ヘミングさんは、画家でもあり、優しい、魂に響く、言葉の紡ぎ手でもあります。

 晴れた冬の日の住宅街を走り抜けてゆく電車に乗ろうとするとき、リストの「コンソレーション第3番」を聴きはじめます。この、ゆっくりと、穏やかに弾かれるためのピアノ曲を奏でているのは、フジコ・ヘミング(Ingrid Fujiko v.Georgii-Hemming)さん。

 東京とパリに住み、ドイツをはじめ世界中で活発に演奏活動を続ける、ピアニスト。彼女は、画家でもあり、優しい、魂に響く、言葉の紡ぎ手でもあります。

 

 数年前のある夏、夢中になって読んだのが『フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記』(暮らしの手帖社、2018年)。その夏は、彼女の演奏を毎晩聴いたり、それから繰り返し読むことになった『魂のことば』や『天使への扉』というエッセイを手にしました。

 『絵日記』には、子どもの頃のお裁縫の日誌や家族のおしゃれや疎開中の思い出などが、キュートでスタイリッシュなイラストと呼びたくなるような挿画とともに綴られています。それは、戦争が終わってまもない頃のひと夏を、マイペースで生きる少女のありのままの記録。

 その絵日記から、いまに至るまでの、彼女の自由でしなやかな生きかたの姿勢は、その後の長い年月の間にどんな苦難に遭っても、だからこそ、いっそう柔らかく、もっともっとひとと猫たちに優しいものになっていった。音楽への愛も、どんどん強まるばかりだった。

 きっとそうだということは、彼女のエッセイからも、ピアノの音色と響きからも、伝わってきます。どんなことがあっても、ピアノを弾き続けた。その魂が重ねた時間の層が(たぶん彼女が歩いた石畳の記憶もそこにくわわって)聴こえてくる。

フジコ・ヘミング絵 石津ちひろ文『ねことワルツを』(福音館書店、2022年)より、34-35頁の絵(部分)

 年が明けてから、この冬刊行されたばかりの絵本『ねことワルツを』を読みました。ひとと猫との間のいろいろな距離を描いている絵。ひらがなによる詩文は、猫たちにも読めたら良いのにねと思ってしまう、語りかけるような詞。「まんまる」というまるい猫の詩とゴールドの水玉模様の猫の絵の組み合わせ。あでやかに塗られた金色の色面は、ウィーンの装飾の部分のようでもあり和の文様のようでもあり、光の反射を変えてみせます。

 ひとと猫とぬいぐるみに優しい、ヘミングさんの絵には、思い出のなかの場面にも、現在の暮らしのスケッチにも、ほんとうによく猫が登場します。

「着替え 2」(部分)フジコ・ヘミング画集『青いバラの夢』、講談社より

 

 エッセイ集の多くには数葉の挿画が添えられています。あらためて画集のページをめくってみると、ひとがいる絵には、猫がいないほうがめずらしいのでは。それくらい、猫を愛するひとの優しさにあふれています(フジコ・ヘミング画集『青いバラの夢』、講談社、2007年)。        

 ピアノを弾く女性のドレスの裾に、小さな紙のピアノを練習する子どもの傍に、芸術家たちの足元に。家族の食卓にものぼって、猫は、守護天使のように、時にはいたずらっぽく、時には犬ともじゃれながら、いつでもひとに寄り添っている。

フジコ・ヘミング絵 石津ちひろ文『ねことワルツを』(福音館書店)より、27頁の絵(部分)

 

 扉の向こうの、世界で、道に迷い、途にあるひとびと。扉の向こうの、部屋のなか、自分の表現と向き合うひとびと。扉の向こうに、いつも猫がいる。

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山の麓の月暦画

イーディス・ホールデン『カントリー・ダイアリー(The Country Diary of An Edwardian Lady)』は、20世紀初めの英国において描かれた自然観察日記。この「ヤドリギ」の絵もその一葉。

 

 「夏の海よりも、私は冬の海のほうが好きだ。雲の厚い日の海も面白い。」(岸田衿子「雲の日記」2月『風にいろつけたひとだれ』装丁・装画 安野光雄、青土社、1990年。) 

 

おなじく「雲の日記」の8月の終わりと9月のはじめの一節から。

 「秋の紅葉も、私ははじまりや、終わりかげんの方が好きです。」

 「本当の自然の奥行きに気がつくのは、九月だから。まわりのものが、切りぬいたようにはっきり見えて、空はとほうもなく高くて青い。なんとなく雲を待っていると、乗り心地の良さそうな雲がやってくる。」

 岸田衿子さんの「雲の日記」という文章は、雲について綴るという形で、1月から12月までのひと月ごとをあらわしたエッセイ。紙挟みと郵便小包をおもわせるコラージュの装丁に、活版印刷で刷られた文字の、かすかな凹凸を撫でるように読みすすめるよろこびも加わって、一年のあいだ、幾度となく読んでいました。

 ひとけの少ない山を背景にした、あまのじゃくな気分。世界の旅先での、するどい観察。つれづれに、雲から思いだされること、いつかのあれこれ。彼女の詩のように、その散文には、映像を喚起する力が強いので、見たことのない時季の山の風景なのに、ときとして私的な色あいの濃い風景なのに、見てきたような錯覚におちいりそう。

 そうかと思えば、岸田衿子さんは、四季の自然をテーマにした子どものための絵本も書いていた。そして十二の月をテーマにした絵本も書いて、翻訳していた。そのことにふいに思いあたりました。

 そのなかの一冊『カントリー・ダイアリー』。

 イーディス・ホールデン『カントリー・ダイアリー』岸田衿子・前田豊司訳(サンリオ、1980年)

 原書(The Country Diary of An Edwardian Lady)の刊行は1977年。およそ70年前の1906年頃の英国において、挿絵画家であったイーディスさんが描いていた自然観察日記( “Nature Notes ”)が元になっています。

 この日記は、1月から12月までのひと月ごとに、草花や鳥たちを描いた清新な色あいの水彩画、日記文、バイロンからスティーヴンソンらによる、彼女が選んだ幾篇かの詩をまとめていたもので、冒頭の「ヤドリギ」の絵も、そのうちの一葉。そう、『カントリー・ダイアリー』もまた、大切に仕舞われていた絵日記のページを、そうっとめくらせてもらうというような書物なのです。

 

 そして『かえでがおか農場のいちねん』。この絵本には、アメリカの農場での一年が、ひと月ごとに見開き頁で描かれて塗られていて、雪の色、葉っぱの色、かぼちゃの色だとかを味わいながら、やはり見知らぬ場所の自然のうつりかわりと暮らしのいとなみを体験するようなところがあります。

 アリス&マーティン・プロベンセンさく『かえでがおか農場のいちねん』きしだえりこやく(ほるぷ出版、初版1980年、1996年)表紙絵より 

 「かえでがおか農場(Maple Hill Farm)」シリーズには、純朴な写実性とポップな気配が両立している。そこにも奇妙な魅力があります。おもな登場人物は、ビー玉のような眼をしてにこやかな子どもたち。ウマ、ヤギ、ウシ、ガチョウら、そしてニワトリとひよこ、とりたち、むしたち。ひときわ存在感をはなつ猫たちである、『みみずくと3びきのこねこ(An Owl and Three Pussycats)』の「デカオ」「ノラコ」「ウェブスター」。この猫たちは、家と家の外の自然のあいだをじつにわがものがおで行き来する猫たちであるだけに、この名前の日本語訳は絶妙。

 プロベンセン夫妻の絵本展が催されていることを知って、蔵前にある古書フローベルグFrobergue Antique & oldbooksを訪れました。そこで教えていただいたのは、1970代末から80年代にかけての「かえでがおか農場」制作に至るまでの、アリス&マーティン・プロベンセンの挿画の変遷について。美しく設えられたフローベルグの室内は、森のなかのような深深とした色をしていて、判型もさまざまな絵本を手にとりながら、最初期の絵本にはじまり、ディズニーらしさものこした『いろいろこねこ(The Color Kittens)』などを経て、ほかであまり見ないスタイルに到達した流れについて、知ることができました。

 ひと月ごとに頁をめくっていると、いつのまにかそこに一年がひろがっている、こうした絵本たちは、歳時記というよりも、月暦画というのにふさわしそう。いまや岸田衿子さんの文章のなかで見たような気がする四季は、絵本のなかで過ぎたいちねんと重ねられて、めぐりはじめたもよう。

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オキーフのエディブル・フラワー

ジョージア・オキーフは、100歳近くまで、絵を描き、花、野菜、くだもの、ハーブを育て、季節ごとの庭の実りからなるすこやかな食事とおおらかな暮らしをいとなみ続けました。

A Painter’s Kitchen: Recipes from the Kitchen of Georgia O’Keeffe, By Margaret Wood, With a New Foreword by Deborah Madison, Museum of New Mexico Press Edition, Santa Fe, 2009.

 このところ手元にある、レシピ・ブック。ガス・レンジの前に立っているのは、画家ジョージア・オキーフ。1961年頃、ニューメキシコ、ゴースト・ランチの自宅のキッチンで撮影された写真。オキーフは、1920年代末からニューヨークとニューメキシコとを行き来しはじめ、この写真が撮影された頃には、南にみつけた新天地で、より長い時間を過ごしていました。

 ベラスケスの《卵を揚げる老婆》(1618年)を連想させるような、一つに結った白髪混じりの髪、味わいのある皺、逞しいまなざしで、鍋をかき回す身ぶり。この写真がとらえた彼女は、アルフレッド・スティーグリッツの被写体であった、アメリカでの若い頃の彼女よりもだいぶ頑健で、自信にみちて、自由そうにも見えます。

Diego Velasquez, An Old Woman Cooking Eggs, Scottish National Gallery, 1618.

 このレシピ・ブックは、90代のオキーフの日常に寄り添い、一緒に料理をしていた、マーガレット・ウッドさんがまとめた本。一つひとつのレシピには、画家との日々の思い出が、覚え書きのように、結びつけられています。レシピ・ブックとしての特徴は、オキーフがニューメキシコの自宅の庭で育てていた野菜・くだもの・ハーブを使ったシンプルなレシピを多く載せているところ。かぼちゃ、アボカド、ビーツ、マッシュルーム、きゅうりなどの、単品の野菜だけでつくるスープなど。アボカドといえば、オキーフが1920年代初頭によく描いた静物のひとつでした。

 それから、たとえば、タンポポの葉風味のマッシュド・ポテトのレシピ。これは、オリーヴオイルかバターで仕上げたマッシュド・ポテトにタンポポの葉っぱを和えたら、あとはハーブ・ソルトと胡椒を加えるだけ、という、なんだかすごく正直なレシピです。タンポポは、オキーフの庭の最初期のエディブル・フラワーのひとつで、とくにお気に入りのレシピだったらしい。タンポポの葉が若く、柔らかい頃を選ぶこともおいしさのコツのようです。ほかに、薬草の香りがメインといった、「ハーブ・オムレツ」「ハーブ・サラダ・ドレッシング」「カッテージ・チーズ・ハーブ・ブレッド」などなど。 

 ちょっと気になったのが、オキーフが読んでいた本として挙げられていた、『ザ・ロダール・ハーブ・ブック(The Rodale Herb book: How to Use, Grow, and Buy Nature's Miracle Plants)』(1974年)という本でした。調べてみると、19世紀末にニューヨークの食料品店の家に生まれ、健康と食の雑誌を創刊した出版人であり、オフ・ブロードウェイの劇作家でもあったという、いっぷう変わった人物で、アメリカにおける「オーガニック・ファーミングの父」と呼ばれるJ.I.ロダールさんの出版社による、当時のベストセラー。ハーブの歴史にはじまり、効能、アロマ、ティー・ブレンド、栽培と保存、ガーデニング、後半のハーブ辞典にいたるまで、読み物としても飽きさせず、20世紀のアメリカのハーブのある日常の写真集としても楽しめるという、なかなか魅力的な「ハーブ大全」になっていました。

 やはり19世紀末にウィスコンシンの農園で生まれたジョージア・オキーフは、ニューメキシコにおける作庭当初、それまでにペインティングに描いてきた数多くの「花」をすべて栽培してみようと思い描いた。そして、土地の人びととともに耕した自邸の庭で、野菜とくだものと薬草のかなりの部分を自給自足できるようになった。採れたてのレタス、ラディッシュ、アンゼリカなどでサラダをつくった。フレッシュなハーブをふんだんに鍋に投じた。はたまたビンに詰めて、ドライ・ハーブとして蓄えた。

 伝記によれば(ベニータ・アイスラー『オキーフ/スティーグリッツ 愛をめぐる闘争と和解』野中邦子訳、朝日新聞社、1994年)、こうした彼女のシンプルな料理は、地元の人びととテーブルを囲みながら、また、はるかニューヨークから彼女を訪ねてくる友人たちにもよく供されたそうで、もしかしたら、アンディ・ウォーホルも、タンポポの葉風味のマッシュド・ポテトをごちそうになったかもしれないですね。こちらは、まもなく96歳になろうとしていたオキーフに、ウォーホルがニューヨークでおこなったインタビュー。

”Georgia O’Keeffe Stays True to Her Vision”, By Andy Warhol, Photographed by Christopher Macos, Interview, 1983, 2014.

 

 そうしてオキーフは、100歳近くまで、絵を描き、季節ごとの庭の実りからなるすこやかな食事のある、大らかな暮らしをいとなみました。冒頭のレシピ・ブックの背景にのぞいているのは、アビキューの庭の一角の写真で、ニューメキシコでの暮らしを余すことなく伝えてくれる写真集の一ページです(バーバラ・ビューラー・ラインズ、アガピタ・ジュディ・ロペス『ジョージア・オキーフとふたつの家 ゴーストランチとアビキュー』内藤里永子訳、KADOKAWA、2015年)。この作品集も兼ねる写真集には、家の設計図なども収められています。オキーフは、シャム猫も飼っていたけれど、どちらかというと犬が好きだったらしく、チャウチャウと戯れている場面も。

 

 かつて薬草園という側面ももっていたアビキューの庭は、土地の人びと、学生、農学研究者たちによって耕され続けていて、花と野菜とくだものを、いまも毎年実らせ続けているようです。

Georgia O'Keeffe - The Far Away, ACB Films

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