スフィンクスの肌理

  VR(仮想現実)の回廊を歩くという体験をしました(MTM(Mind Time Machine)Ⅱ)。

 歩くひとにあわせて音が響く、歩廊の両端に、さまざまな形状の柱廊がたちあらわれてくる。海をのぞむ柱廊空間にたちならぶコンクリート風の柱も、メタリックな点描からなる柱状の形状も、ときどきグニャリと屈曲する。

 暗色の空間で、波うつ仮想的な(ドットからなる)ベルベットのようなものの質感に、はじめて(視覚的に)触れました。 

 歩いていると、さまざまな心象が浮かんできます。建築学の授業、瀬戸内海、サルバドール・ダリが参加したディズニー映画の「デスティーノ」(1945-2003)。

 そうして感じとった、存在しないはずの場所とその記憶は、たとえば描かれた空間を前にするときの感覚を変えていきそう。絵やイメージにみいだされてきた超現実がこれからは仮想現実としてそのなかに入ったり、歩きまわったり生きられたりするのだと思って、心おどりました。

 チーズのように溶けるあの時計。卵白のようにしたたる黒電話の受話器。1930年代末、イメージ・メーキングにいつになくノッテいた頃のダリが、雑誌からの写真の切り抜きをもちいてつくっていたコラージュのひとつに、《シャーリー・テンプル、当代の映画のもっとも若く神聖な怪物》(1939年、ロッテルダム、ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館蔵)という作品があります。

 ちょっと人面猫みたいで、頭のてっぺんにリボンをつけてる、真赤なスフィンクス。J.L.ボルヘスの『幻獣辞典』(初版、1967年)のイタリア語版(2006年)の表紙に、この絵があしらわれています。

Jorge Luis Borges, Il libro degli esseri immaginari, Biblioteca Adelphi 502, Adelphi Edizioni, 2006.

Jorge Luis Borges, Il libro degli esseri immaginari, Biblioteca Adelphi 502, Adelphi Edizioni, 2006.

 この叢書に用いられている紙の繊維の質感がひっそりと毛羽立っている感じとあいまって、不思議な効果が生まれていて、飾りたくなる装丁。ちなみに、日本語訳の新版には、スズキコージさんが挿画を寄せていることを知ったばかり(ホルヘ・ルイス・ボルヘス『幻獣辞典』柳瀬尚紀訳、スズキコージ絵、晶文社、2013年)。

 ダリは「核神秘主義宣言」の時代にも、三様の頭部の後ろ姿が砂漠にひっそり佇んでいる《ビキニの三つのスフィンクス》(1947年、諸橋近代美術館蔵)という絵を描いていて、こちらは、原子、ウラン、量子力学について思索を巡らせていた頃のスフィンクス。

 

 エジプトのスフィンクスの石の質感が固定観念としてあって、ギリシアのスフィンクスを描いた絵画のイメージも強くて、幻獣スフィンクスの肌理をあえて想像したことはなかった。

 存在しないはずのいきものの質感が未知であることにあらためて気づいたのは、VR体験の余波かもしれない。

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