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小さくて大きな猫のなかの鳥

猫に「心奪われた」と表現するほど、パウル・クレーは大の猫好きでした。クレーの絵《猫と鳥》にインスピレーションを得て作られた絵本があります。

 ドングリを七つ、拾って、ベランダにころころっと置いて、並べてみると、黄緑から焦げ茶色に染まっていくグラデーションができていました。

 夏の終わりから秋にかけて、猫を描いている絵本ばかりを数冊、読んでいました。そのうちの一冊が、画家パウル・クレーの絵《猫と鳥》にインスピレーションを得て作られたという、『猫と鳥』。

北フランスに生まれ、ドイツのハイデルベルクで活動する、児童文学作家ジェラルディン・エルシュナーさんと、フランス人のイラストレーターのペギー・ニールさんによる絵本。エルシュナーさんは、こどものための動物のおはなしのほかに、ゴッホやフンデルトヴァッサーなど、美術家に関する絵本を数冊書いています。その絵本の多くは、フランス語、ドイツ語、英語で刊行されていて、『猫と鳥』も、こどものためのドイツ語とフランス語のバイリンガル教育に用いられているようです。大人の初学外国語の読書にも、こんな絵本を選んだら、とても楽しそう。

『猫と鳥』の出版社プレステル(Prestel)社のページ。https://prestelpublishing.penguinrandomhouse.de/book/The-Cat-and-the-Bird/Geraldine-Elschner/Prestel-com/e396394.rhd 表紙画像の下にある「Look Inside」から、初めのページを読むことができます 。

 この『猫と鳥』に登場するのは、タイトルのとおり、猫と鳥のふたりだけ。家の窓から外を眺める猫と、その猫が外の世界にみいだす、空を飛ぶ鳥のふたりだけで織りなすおはなしです。

Géraldine Elschner, Peggy Nille, The Cat and the Bird, Prestel, 2014

 黄色い猫の日々はといえば、「猫が窓辺で警備する」ことを意味する造語「#ニャルソック」にちなむ、あの人気の替え歌の歌詞そのもの。室内にいる猫が窓の向こうにみる鳥は、外の世界の自由をおおいに満喫している。そう感じとった猫は、鳥をまねて、屋根の上を、夜の空を、飛びはじめます。

けれども、この「猫」が見ている「鳥」は、本当に窓の外を飛ぶ、実在する「鳥」なのかどうかが、じつは曖昧です。もしかすると、この「鳥」は、猫が思い描いた鳥である。つまり「猫のなかの鳥」なのであって、猫の夢みる「自由」の象徴なのかもしれない。そもそもこのような曖昧さは、絵本の着想源となったクレーの絵のなかにみいだされてきた謎をなしていたものです。

絵本『猫と鳥』がもとづく、絵画《猫と鳥》は、クレーの作品のなかでもとりわけ「子どもの絵のような」と形容されることが多いものです。「猫」の眼をいろどるエメラルド・グリーン色、鳥と猫の鼻とに重ねられた赤紫色、クリームイエロー色に重ねられた暖かい黄土色。猫世界に独特の純粋さ素朴さ不思議さをあらわすこれらの色は、鮮やかに澄んだ貴石のように、観る人のまなざしを惹きつけて、しばしとらえてしまいます。

Paul Klee, Cat and Bird, 1928, MOMA

 猫に「心奪われた」と表現するほど、絵ばかりか「猫」という詩も書いているほど、クレーは大の猫好きでした。幼少時代のパウルに寄り添ったのは、フサフサでグレイッシュな毛のナッジ。大人になったクレーの、家族の一員として暮らしたのは、キジ猫フリプイユ(またはフリッツィ)。クレー夫妻の晩年を賑やかにしたことで知られるのが、1930年に贈られたフワフワでまっしろな猫、ビンボ。

キジ猫のフリプイユ(1921年頃)と まっしろなビンボ(1930年代)[Zentrum Paul Klee Facebookより]

 幸せそうに眠たげな、このフリプイユの写真(左)も、クレー自身が撮影したもの。フリプイユは、1910年代半ばから1920年代半ばにかけて、クレー、妻のリリー、息子のフェリックスと、ミュンヘン、ついでヴァイマールの地で暮らしました。おそらく、《猫と鳥》に描かれた「猫」のモデルは、フェリックスがドイツの森のなかでみつけて拾ってきたフリプイユ(フリッツィ)なのでしょう。

クレーの『日記 1898-1918』には、「太っている」猫と暮らした思い出が記されています。『日記』を編纂したフェリックスの文章にも、もちろんフリプイユは登場します。そこでフリプイユは「巨大な虎猫」と形容されています。といっても、数枚の写真に写るフリプイユは、特別に巨大な猫というわけでもなさそうですよね。

キジ猫のフリプイユ(フリッツィ)は、ちいさなこどもの眼から見て、あるいはこどもの眼を通した、クレーの眼にも、そんなふうに映っていたのかもしれません。この絵の画面においてそうであるように、「ちいさな空間を溢れんばかりに満たしているおおきないきもの」として、猫という存在を、視ていたのかもしれない。

 冒頭のドングリは、ベランダのひなたに放っておいたところ、忘れかけた頃に見てみると、七つとも焦げ茶色に染まっていました。

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わたしたちが観る「自然は風景画家のあとを追う」

画家グスタフ・クリムトがファッション・デザイナーのエミリー・フローゲと毎夏を過ごした、オーストリアのアッター湖畔。この避暑地で描かれた風景には、山あいの天気のうつろいやすい心模様がうつしだされています。

Gustav Klimt, Attersee, 1900, Leopold Museum

 「自然は芸術を模倣」するという至言をのこしたのは、オスカー・ワイルドだけれども、現実がたとえば映画になぞらえられるのは、今も同じ。 accidentallywesanderson、略してAWAというInstagramのアカウントがある。たまたま(アクシデンタリー)、いかにも、映画監督ウェス・アンダーソンの作品に出てきそうな、レトロで、ちょっとファンシーで、だいたいがシンメトリカルな建物やインテリアの写真ばかり、集めている。

 そのウェス・アンダーソン監督の映画『グランド・ブダペスト・ホテル』は、小説家シュテファン・ツヴァイク(1881-1942)に捧げられている。ウィーンに生まれ育ち、『マリー・アントワネット』をはじめとして、トルストイやバルザックといった歴史のなかの「星」のような人びとについて書き続けた、20世紀屈指の「伝記作家の人生」そのものが、映画のインスピレーション源となっていることを、WA監督は隠していない。隠していないどころか、そのことは、映画のあちこちに、徴(しるし)として、嵌め込まれている。

 それもあって、この映画には、19世紀末のウィーンを拠点にした画家たちの絵がよく出てくる。なかでも、画家のグスタフ・クリムトとエゴン・シーレの作品が効果的に挿入される。たとえば、映画がはじまって間もないシーンのホテルの壁に、クリムト風の絵が三点、掛けられている(予告篇の0.15秒のあたりに一部映っているので、チェックしてみてください)。中央奥には、クリームイエロー色の建物へと通ずる並木道の絵、その両側に、鬱蒼とした木立の風景画。この二点の松林の絵は、クリムトが夏のあいだに避暑に訪れて制作の場としていた、オーストリアのアッター湖で描いた、1900- 1903年頃の絵をおそらくは元にしている。絵の前に鎮座する、ティルダ・スウィントン演ずる女性のスタイルが、クリムトの絵《アデーレの肖像》にインスパイアされていることも、もちろんいうまでもなくて、ここでは「映画は絵画を模倣」している。

 ところで、クリムトがアッター湖の畔で描いた風景画の中には、もっともっと謎めいた絵もある。そもそもクリムトが、彼のトレードマークともいえる金鍍金(きんめっき)をほとんど使っていない、さほど飾り気のない風景画も描いていたことは、あまり知られていないかもしれない。

Gustav Klimt, The Large Polar Ⅱ(Gathering Storm), 1902/03, Leopold Museum

 この絵の、ブルーグレーの空に嵐の気配が渦巻いているところなどは、ムンクが描いたような「魂の動き」を映したイメージのようでもある。まるで誰かの心の「空模様」のようだ、というのならば、大きなポプラの樹のふもとに建つ、このちいさな礼拝堂だって、なにかただならない時の心情のようなものをえがこうとして生まれてしまった、なにかよく分からないもののかたち、というふうに見えてこないこともない。堅固なはずの建築も、雲と同じく気象によってうつろいゆくように。この作品には、知る限りでも、《大きなポプラの木 Ⅱ(迫ってくる嵐)》と《近づいてくる雷雨》というタイトルがある。

 クリムトの手紙から知られるのは、画家が温度や湿度にとても敏感であったこと。雷が轟いて、いまにも雨が降りだしそうな、湖畔の夕暮。クリムトはこの湖のある山間の避暑地で、パートナーのファッション・デザイナー、エミリー・フローゲと夏を過ごしていた。「まるでクリムトの絵のよう」に変幻する気象のときを待ちながら、いつまでも眺めていられそうな、さわやかな山上からのLivecamをみつけました。

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